立ち止まる時間
立ち止まる時間が大切だ、とよく言われる。
スマホを置いて、ぼーっとする。
散歩をする。
自然の中で、深呼吸する。
聞いたことのあるような話なので、
ですよねー。
と、流しそうになる。
一度聞いたことがあると、もう分かっているような気になってしまい、その先を考えずにいれば、見えないものは、ずっと見えないままなのかもしれない。
人は盲点だらけだと聞いたことがある。
視界に入っていても、目の前にあっても見えていないような。
大切なことでも、スルーしてしまうことがよくある気がする。
当然、そのときは気づかないんだけど。
だから今回は、「立ち止まる時間」という聞き慣れた言葉の前で、少し立ち止まってみることにした。
立ち止まる時間と聞いたとき、僕が最初に思い浮かべたのは、目の前のことから一旦離れることだった。
たしかに、そういう時間は必要だと思う。
頭の中でずっとグルグルしていた思考が静かになったり、
(そのままグルグルしていることもある。そういうときは、もっと長い立ち止まりが必要なのかもしれない。)
さっきまで大きく感じていたことが、少し離れたところから見えることもある。
でも、立ち止まるというのは、それだけだろうか。
以前、家族でキャンプへ行ったときのこと。
僕は朝食用のパンを焦がしてしまった。
妻は事前に「こう焼いたほうが焦げにくいよ」と教えてくれていたけど、そのまま焼いたから。
妻は怒った。
僕は責められたように感じた。
頭の中では、
「もう起きてしまったことなんだから、この後どうするかを考えたほうがいい。」
そんなことばかり考えていて、
気づけば妻にきつい言葉を返してしまっていた。
そのときの僕は、冷静に振る舞っているつもりだったけれど、頭の中にあったのは、自分のことばかりだった。
時間が経ってもその時のことがモヤモヤしたままだったので、
「自分はいったい何に引っかかっているのか?」
その時の気持ちを整理しようと、ノートに書き出しながら振り返ってみると、
妻は、家族みんなで食べる朝食を楽しみに考え、準備してくれていたこと。
そして、「こうしたほうがいいよ」と伝えてくれたことを、僕がちゃんと受け取っていなかったこと。
そこに気づいたとき、ようやく妻の立場から、この出来事を見ることができた。
すると、ようやく素直に、
「悪かったな。」
と思えた。
それと同時に、
感謝が自然と湧いてきた。
少し立ち止まってみると、
見えていた景色は変わった。
人から何かを言われたときも、聞き慣れた話に触れたときと似ているのかもしれない。
いいとか悪いとか。
好きとか嫌いとか。
その時の感情だけで判断してしまえば、その言葉によって見えるはずだったものも、見えないままになる。
ただ、イラッとしたからといって、すぐに相手のせいにしない。
かといって、イラッとした自分を否定するわけでもなく、
その感情に対して、
「なぜ?」
と、少し考えてみる。
これも、立ち止まることなのではないかと思う。
ぼーっとする時間をつくることだけではなく、
誰かの言葉に反応したとき、その勢いのまま言葉を返さないこと。
自分の中で何が起きているのかを、一度見てみること。
僕にとっては、これも立ち止まる時間だ。
こう考えてみると、最初に思い浮かべた「目の前のことから一旦離れること」も、やはり大切なんだなと思う。
目の前から少し離れる時間があるからこそ、自分の反応や感情に目を向ける余白が生まれる。
スマートフォンを置く。
コーヒーを飲む。
インセンスが燃えていくのを眺める。
立ちのぼる煙の向こうで、
内側の自分と目が合うかもしれない。
