立ち止まる習慣
毎日を過ごしていると、目の前のことで頭がいっぱいになる。
仕事。
家族。
お金。
時間。
現状に違和感を感じていても誤魔化しながら一日を終え、気づけば一週間。
また一週間。
そんな時期があった。
朝三時に起きて仕事へ向かう。
納期に追われ、一日中家具をつくる。
そんな毎日が、5年ほど続いた。
そして、ときどき、
「この生活、いつまで続くんだろう。」
と思うが、その先を考える余裕はなかった。
何をしていても心は休まらない。
ただ疲れ切っている日もあれば、何も考えたくなくて現実から目をそらしている日もあった。
いつもどこか気分が晴れず、漠然とした不安を抱えていた。
妻と話していても、どこか上の空。
息子と遊んでいても、一緒に笑っているようで、心からその時間を楽しめてはいなかった。
身体はそこにあっても、心は目の前にいない。
当時は、仕事が忙しいからそうなるのだと思っていた。
いや、そんなことすら考えていなかったかも。
それよりも、自分を観察する習慣がなかった。
イライラすれば、その感情そのものが自分自身で、
不安になれば、その不安に飲み込まれていた。
「本当は、どんな暮らしがしたいんだろう。」
そんな問いが一瞬頭をよぎっても、深く考えることなく過ぎ去っていく。
自分の内側へ目を向けるという発想自体がなく、
目の前の状況に流されるまま毎日を過ごしていた。
そうしているうちに、
自分は何を大切にしたいのかも、分からなくなっていた。
どこか違和感はあるが、その原因が分からず、そのままでは嫌だった。
そんな日々を過ごす中で、まずは自分のことを知る必要があるんじゃないかと気づいた。
だから今は、毎日の中に、自分を観察する時間をつくっている。
朝、ノートを開き、感じたことや考えていることを書き出す。
昼休みにも、その日の出来事を振り返り、自分の反応や変化を記録したり、考えていることを書き出している。
そうした時間を重ねるうちに、頭の中が少しずつ整理されるようになった。
書き残したものを後から読み返すと、
「あの頃は、こんなことで悩んでいたんだな。」
「前とは少し考え方が変わってきたな。」
そんな小さな変化にも気づけるようになった。
そうして少しずつ、
「今、自分は何を感じているんだろう。」
「本当は、どうしたいんだろう。」
と、自分に問いを返せるようになってきた。
自分を知ることは、遠回りのように見える。
でも、自分が今どこに立っているのか分からなければ、どこへ向かっているのかも見えてこない。
立ち止まることは、自分の現在地を確かめること。
今の暮らしは、自分に合っているのか。
それとも、少しずつ自分とのズレが大きくなっているのか。
そして、どこへ進んでいきたいのかを確かめる時間でもある。
僕にとって立ち止まることは、自分を観察し、自分とつながるための入り口なんだと思う。

