自分で選んだ時間
以前勤めていた家具工場では、早く、きれいにつくることが求められていた。
歩合制だったこともあり、時間をかけるほど自分の利益は減っていく。
材料を選ぶときも、強度や用途に合っていることはもちろん、その上で、無駄がなく、コストを抑えられるものを考える。
品質を保った上で、どれだけ早く、効率よくつくれるか。
そこを強く意識して仕事をしていた。
寸法を間違えないように。
納期に間に合うように。
次の仕事が遅れないように。
一日中、かなり集中していたと思う。
いいものを、できるだけ早く仕上げる。
そして、次の仕事へ進む。
そうやって、意識はいつも少し先に向いていた。
今、美浜の小屋では、生木を手道具で加工するグリーンウッドワークというものづくりをしている。
その中で、足踏みロクロを使って器を挽いている。
足でロクロを踏みながら、刃物を当てていく。
手に伝わる感触。
木が削れる音。
その場の空間全体と、刃先が木に触れている一点が、ひとつにつながり、
意識は「今ここ」にある。
こうして「今ここ」に意識が向くのは、人力でロクロを動かし、木と向き合っているからだと思っていた。
でも、それだけではない。
僕にとって足踏みロクロは、自分と向き合う中で、自分が大切にしたいと思って選んだものだった。
以前の記事で、立ち止まることは、自分とつながるための入り口なんだと思う、と書いた。
立ち止まって、自分を観察する。
自分は何を大切にしたいのか。
どんな時間を過ごしたいのか。
そうやって自分と向き合う中で見えてきた、大切にしたいものの一つが、僕にとっては足踏みロクロで器をつくる時間だった。
自分と向き合い、大切にしたいものを知る。
そして、それを自分で選ぶ。
自分にとって大切なことだと分かっているから、
この時間、この瞬間を大切にしたいと思える。
だから、意識が「今ここ」に向かう。
だからといって、それ以外がどうでもいいわけでもない。
例えば、今の仕事は家族との生活を支えてくれている。
そして、美浜で制作を続けていくための土台にもなっている。
自分が大切にしたいものが見えてくると、それを支えているものにも気づく。
全部を一気に変えなくてもいい。
自分にとって何が大切なのかが分かってくると、今ある時間の意味も少しずつ変わってくる。
そして、その時間とどう向き合うのかも、自分で選べるようになる。
僕にとって、美浜で足踏みロクロを踏む時間は、そんなふうに自分で選んだ時間の一つだ。
